ジャイアント凧を見に行く :スンパンゴ・サカテペケスにて
いつでも行けるさと思って、なかなか見に行かないのが観光名所。
毎年あるからと思って、ずーっと見に行かなかった「グアテマラの死者の日名物、巨大凧揚げ」。
この国在住8年目にして、すっかり海外引きこもり気味な今日この頃なのだが、重い腰をヨッコラショと持ち上げて行ってみれば、名物たるものはさすがに名物になるだけのモノはある。
周囲が「一見の価値はあるよぉ~!」と言うものには、つくづくノってみるべきなのだ。
というわけで出掛けた11月1日の死者の日。
古都アンティグアからもほど近い、サカテペケスという場所の伝統行事なのだが、いくつかある候補地の中からひとつを選んで私たちが行ったのは、スンパンゴという一番パナハチェル寄りの町だ。
マリーゴールドの花で飾り立てられた共同墓地で墓守をしている人々の姿は、メキシコの死者の日と同様なのだが、その墓場のすぐ隣で開催される巨大凧揚げは、この土地ならではの風物詩であり、
その場所に到着すると、見る者のド肝を抜かずにはおかない巨大凧たちがどどーん!と勢ぞろいしていたのであった。

どーだっ!? この凧たちと人込み。
元来は、天空のあの世と現世を繋ぐというマヤ的な要素の強いこの行事も、
昨今では、村おこしの目玉として巨大凧フェスティバル風になってきている模様で、皆すっかりお祭り気分だ。
大・中・小と3つのカテゴリーに分かれている凧は、直径15メートル級の一番大きな鑑賞用に作られたものを除き、すべて実際に飛ばされる。
一番小さなサイズをとっても、直径は軽く約3メートル以上もあるこの凧たち、
日本にも大凧を揚げる風習のある地方はあるけれど、それに比べて色彩の鮮やかさが際立っているのは、さすがはグアテマラの凧である。

マイルドセブンの箱代わりの縮尺として、子どもと普通サイズの凧を入れてみた。そのドデカさが分かるかな?
日本の大凧の多くが長方形であるのに対して、こちらの凧はおおむね丸っぽい多角形。
デザインはあくまでも彩り鮮やかに、そしてどの巨大凧にも、文化や自然賛歌、社会性のあるメッセージがモチーフとして盛り込まれている。

巨大凧の骨組みとなっているのは、強度のある竹である。
この竹は、祭りの40日前に村を立った若者達によって、海岸地帯からこの山深い土地に運び込まれるそうで、
交通の発達していなかったひと昔前なら、ちょっとした冒険旅行だったであろうその過程が、未成年男子の大人への通過儀礼としてみなされていたらしい。
竹の骨組みの上に貼られるのは、日本であったらさしずめ和紙のところ、こちらはパペル・チーナ(中国の紙)と呼ばれる薄紙だ。
小学校の頃、運動会の入場ゲートに飾られていた紅白のポンポンの花を作る時に使ったような紙を思い浮かべればいい。
色と色とを組み合わせたその薄紙は、でんぷん粉とレモンの皮と水を練り合わせた天然の糊で接ぎ合わされて強度を増していく。
凧を組み合わせるのに使う紐も、テキーラの原料となるサボテンから採取された繊維だし、凧から伸びる長い尾ももちろん自然の素材で、手織りで作られるものだそうだ。
風を切ってたなびく尾には、人々の天への願いを書き入れることも多いそうで、そんなところ、日本の七夕の短冊に込める思いと似ていないこともない。

これは炎(?)の形をした凧。今回出品されたジャイアント凧の中で骨組みが一番複雑。

時折、大きな掛け声とともに、会場に凧が立ち上がる。

意匠の素晴らしさに周囲から大拍手。

スタンバイした凧は、いい風が吹いてくるまでそのままじっと待つのだ。
去年は午前中に思うような風が吹かず、3時ごろまで全くの手持ち無沙汰だったというこの凧揚げ。
死者たちは、この凧に乗って上空からやってくるというのだから、幸運にも風に恵まれた今年の死者の日は、あの世の人たちもさぞかし喜んでこちらに渡ってきたことだろう。
よく飛ぶのはやはり小さめの、直径3、4メートルのクラスの凧だ。
上手く上昇気流に乗せることができた凧は、そのまま30分やそこらは飛んでいることができる。
見ている方としてはさらに盛り上がる、それより大きめの凧の滞空時間は平均して若干10秒ほど。
急に失速して見ている人々の頭上から落ちてくる大凧は、もちろん危険極まりないものだが、
その上に乗っているというあの世の人たちにとっても、これはかなり乱暴なランディングに違いない。


逃げろ~っ!群集の頭上に落下する巨大凧。・・・こんな光景もままあるのは、さすがグアテマラ。
それにしても、こうして並んだ凧を見てやはり目を引くのは、色彩の配合の豊かさとアーティスティックな完成度の高さだ。
普段、何事につけても粗雑な人々の様子を知る身には、一体彼らのどこからこれだけの美的感覚と忍耐強さが出てくるのかと、不思議でならないのだけれど、
グアテマラではこうした傑出した才能が、織物と同様、凧作りにも顕著に見られるのである。

これも直径15メートル級。

翌11月2日の早朝、これらの凧はもういちど空へ揚げられる。
凧は従来、あの世とこの世を繋ぐ交通手段のようなものだから、再度空へ揚げることによって、あちらの方々には、ひとりの乗り遅れもなく無事に帰ってもらわなければ困るのである。
その日の午後に共同墓地で燃やされる凧から立ち上る煙も、天国への道しるべとなる。
家族と過ごす時間が楽しくて、凧に乗り遅れてしまったうっかり者の死者のためかどうかは知らないが、
家族が一番大切なグアテマラ人のことだもの、帰りたくないョ・・・と駄々をこねる死者が居たっておかしくはないよな、と想像して思わず笑ってしまうのだった。

