海外青年協力隊を考えている人へ

ここは中南米。とある小さな国のお話。

欧米や日本を始め、たくさんのボランティア団体が活動をしているこの小さな国。
40年前に海外青年協力隊としてこの国に住んでいたという、アメリカ人女性と食事をした。

変らないように見えても、実は急速な変化を遂げているこの土地で、
40年前というのは、5歳まで子供が生きられる可能性が30%だった時代の話だ。

遊んでいる子供たちがあまりにも汚いので、何故ちゃんと洗ってあげないの?と親に聞くと、きれいにしたくても水がないのだと言う。
洗濯ものは、女達が湖まで行って岸辺で洗う。

細菌性の胃腸の病気で、抵抗力の弱い子供たちがばたばたと死んでいったらしい。

現代でも、ボランティア活動の一つとして、「手をきちんと洗いましょう、歯を磨きましょう」と、衛生概念を教えてまわるというのがある。

私達にとっては当然のことでも、それを実際に人々に教えていかなければならない社会がまだまだある。

しかし、40年前のこの小さな国。彼女が語る町の光景は、まるで御伽噺の中の国のように素敵だ。

今は、民族衣装の人とTシャツにGパンという人との割合が半々のこの街だが、当時の人々はもちろん皆、頭のてっぺんから足元まで、色とりどりの民族衣装。
今よりはるかに色彩も派手で、しかも異なる民族の人達が通りを行き交う様は、それはそれは美しかったという。

人々で賑わうマーケットも今よりずっと規模が大きく、鮮やかな色合いの花々で溢れかえっていた。
しかも、1ドルあればマーケット全部を買えるくらいの安さだったらしい。

女性たちのおしゃれのポイントは、今も昔も変らずイアリングとネックレス。

今では金銀のプラスチックの珠や、ビーズにとって代わられている装飾品は、当時は豆などで出来ていて、珍しい色の珠を見て歩くのも楽しかったとか。

笑ってしまったのがバスの話。

乗っている人々が全員窓際に座っている理由が分からず、雨が降ってくるというのなら内側に座るだろうに、と思いつつ見ていると、ほどなくしてその訳が判明。
乗り物に慣れていない人々は、バスの揺れにすぐ酔うので、ヤバくなったら窓から吐けるようにそんな場所に居たんだね。

もちろん、そんな時代なりの苦労というものもある。

町に肉屋がある訳ではないので、肉が食べられるのは行商人がやって来る週一度だけ。
野菜の種類も乏しくて、毎日の食事に並ぶのは、トルティーヤとお豆とバナナ。
その後アメリカに帰っても、さすがにバナナはしばらく食べたくなかったそうだ。

大型のスーツケースにTシャツやGパンを詰められるだけ詰めてやってきた、20代のアメリカン・ガール。

大変なことは多かっただろうけれど、彼女が2年間の任期の間に見たものは、40年後の今でも夢見る程の一生ものの宝物になったのだろうと、
今の彼女を見ていて思う。

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