グアテマラのマヤインディアン

ここは中南米、とある小さな国のお話。

素朴なマヤインディアンと聞くと、寡黙で恥ずかしがりやな人たちを想像するかもしれないけれど、
私がこの街に住んでいて目にする実際の彼らは、思っていたのとはかなり違う。

おしゃべりで噂好きで、小さなことにも良く笑い、恋愛もののジョークが大好きで、何よりも家族が一番大切。
深く物事は考えず、恨みことも大して後には引かず、時計の針よりもお日様の動きで一日を計っているような人たち。
将来の大金よりも日々の小銭の方に手が伸び、そんなだから、どう逆立ちしたところで将来日本のような経済大国になることは決してないのだけれど、
そんな点が、私たちがここで子育てしている理由かもしれない。

もっと時間が進んで、世界がマトリックスなコンピューター社会に成り果てても、きっと馬耳東風に自分たちの歩みを続けるであろう人たち。

自分も含めて世界の人たちは、彼らのことを「グアテマラ人」と一括りに呼んでいるけれど、
彼らの世界観の中では、自分たちのアイデンテティはあくまでも属している部族に拠っているものらしい。

周りを見渡してみれば、私たちの住むアティトラン湖の周辺に数多いる、異なる民族衣装を着た様々な部族のインディアンたち。
私たちガイジンにしてみれば、パナハチェレンセ(パナハチェル人)だろうが、そこからバスで15分ほど隔てられた場所に住むソロラテコ(ソロラ人)だろうが、同じ「マヤ人たち」として括ってしまうのだけれど、彼らに言わせると「断固違う!」のだそうだ。

そう聞くと、彼ら自身にとって「グアテマラ人」という呼び名は、スペイン人の侵攻以来、よそから便宜上押し付けられた名前でしかないのだな、と思いつく。
そして、こんなに国際化が進んだ現代でさえも、マヤの種族の間でしか物事を見ていないらしい人々に改めて驚かされる。

「マヤの宇宙観」とかなんとか言う、古代歴史の本があったかと思うけれど、
時は21世紀にして、現代マヤインディアンたちの世界観は、まだまだ相当、独自の地域感覚に終始しているらしい。

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