ドン・フェリックス
ハリケーンがやってくる。
すでに暴風雨圏内にある隣国ホンジュラスのカリブ海沿岸は、軒並み高波警報発令中で、
進路上、確実に次のターゲットとなりつつある我がグアテマラは、主要な県でオレンジ・アラートだ。
一時は、ハリケーンとしては最強のカテゴリー5にまでランクされたこの暴れん坊、名前をフェリックスというらしい。
私達がこのパナハチェルに移り住んできて初めて借りた家は、こってこてのグアテマラ人夫婦が営む長屋だった。
なんとも愛嬌のある大家さんで、ご主人はその名もドン・フェリックス。
顔スタイルともに、お互いに全然似ていない子どもたちが6人いて、長男の名前はお父さんと同じでフェリックス。
ドン=旦那という称号は、ある程度歳がいっているか社会的立場のある人に普通付けるものだけれど、
彼の場合は、長男が生まれたとたんに、必然的にドンを付けて呼ばれ始めたわけだ。
昨日、そんな彼と道でばったりと会ったので、
「同じ名前のハリケーンが来ているようですねぇ。」と言ったら、
「いやぁ、どうも、ねぇ、いや~まいっちゃうなぁ。」と、別に褒めたわけでもないのに、欽ちゃん風に照れ笑いしていたドン・フェリックス。
単純で、心底、人のいいおっちゃんなのである。
彼とハリケーンの関係で思い出すのが、ある年の風の強い夜のことだ。
グアテマラの各家庭には、ピーラと呼ばれるコンクリート製のどデカいシンクがある。
上水設備がまだ先進国並みとはいかないこの国のこと、蛇口から突然水が出ない!なんてことも十分あり得るので、
そんな状況になってもあわてないで済むように、常時水を溜めておけるこのピーラは至極便利。
食器を洗うにもピーラ、洗濯をするのもピーラ、赤ちゃんを洗うのだってもちろんピーラ。
ドン・フェリックスの長屋に住んでいた当時の私達の台所でも、当然このピーラは大活躍。
その夜も、次の日の朝に備えて水を張っておこうと、蛇口を全開にし始めた私。
リビングでは、冷たい大粒の雨がトタン屋根に当る音がうるさくて、テレビのボリュームが最大限。
そんな状況で、誰かが表の木戸をノックする音など聞こえるはずもなく、かろうじて携帯電話の呼び出し音に気づいて出てみると、
その夜出かけていたジョンからで、「ドン・フェリックスがドアの外に立っているらしいから、急いで開けてあげて。」と言われた。
外は、木々もなぎ倒すほどの暴風雨である。
そんな中で風にかき消されるように小さく聞こえる、「トントトトンのスットントン・・・」という彼独特のノック音を聞きつけて、開けてみれば、
そこには何と、裸で濡れながら震えるドン・フェリックスの姿が!
濡れた髪の毛は額にぺったりと貼り付き、一応申し訳程度にタオルを身体に巻いてはいるものの、片方の胸なんかはだけちゃって、乳首がヨロチクビ~なぁんて見えているのは、決してギャグじゃないとは思うが、
そんな格好で、しかも、「夜分お邪魔しちゃって本当にスミマセン・・・」なんて愛想笑いを浮かべて、いつもながらの低姿勢なのである。
こっちも、あまりの風貌に目のやり場に困りつつ、「そんなことはどうでもいいから、一体どうしたって・・・?」と早口に訳を聞くと、
シャワーを浴びていたところ、水圧が急に下がって、水が1滴も落ちてこない。
申し訳ないのだが、15分ほどピーラの水を止めてくれないか、と言うドン・フェリックス。
つまり、
私達の長屋の裏手には、同じくドン・フェリックスの経営するバックパッカー用の安宿があるのだが、そこでシャワーを浴びていた彼がシャンプーまで進んだとたん、
私がピーラの蛇口を全開にしたがために、突如水がストーップ!!!
この辺りを旅した人なら知っているかもしれないが、安宿のシャワーというのは温水とうたっていたところで、限りなく水シャワーに近い代物である。
そんなシャワーを嵐の夜に浴びようっていうこと自体も凄いし、そんなことも知らずに私が水を独占しちゃったタイミングの悪さと、濡れ鼠の身体で、近くに用を頼める家族もいなかった彼自身の不運さも凄いと思う。
彼が意を決してドアまでくるまでに、まずは電話を寄こしたらしいのだが、
当時ふたりで一台しか持っていなかった私達の携帯電話は、たまたまその夜友達と飲みに出かけていたジョンが持って行っていて、
応えて出てみても大音量で音楽が鳴っているいる店の中では何も聞こえず、間違い電話だと思って最初はそのまま切っていたらしい。
「ポルファボール、ジョニー、ポルファボール・・・」と、ドン・フェリックスがなにやら懇願しているらしいとようやく理解できたのは、何度目かのコールでのこと。
「水を何やらお願いします、って言われたところで、今は出かけてるしねぇ・・・」という、ドン・フェリックスにとっては絶望的な答えを聞いた後に、タオル一丁で、ものすごい嵐の中を彼は我が家のドアの前でノックし続けていたわけだ。
いくらスペイン語が拙い私とはいえ、ドン・フェリックスの姿を見れば誰にだって状況は一目瞭然。
あわてて蛇口を止めに走った私に向かって、まだドア口で「ムーチャス・グラシアス、ムーチャス・グラシアス・・・」と律儀にも言っている彼の後ろでさらにうなり声を上げる暴風雨。
いいから、とにかく早くシャワーに戻って!とドアごと彼を押し戻したその20分後、今度はきちんとシャツを着て、しかも前髪をぴっちりと七三に撫で付けたドン・フェリックスが、
「いや~どうも、本当に助かりました。」と、わざわざお礼を言いにやってきた。
あくまでも、彼はいい人なのである。
とまぁ、そんな彼と同名のフェリックス君←ハリケーンの方。
ホンジュラスの山岳地帯でだいぶ雲は崩れると見られているけれど、それでも各地で40センチくらいの浸水にはなるんじゃないかという噂。
我が家でも、5日分くらいは食料を買い込んだたし、停電に備えてキャンドルもばっちり用意した。
しかし、こうしてネットを繋いでいられるのも、きっと時間の問題・・・、
てなわけで、しばらく音信不通になるかもしれないけれど、皆さんどうぞヨロチクビ~!
ハリケーン・台風などにちょっとワクワクしちゃう人にはこのサイト
米国ナショナルハリケーンセンター
ドン・フェリックスをもっと深く知りたい人にはこのサイト
南北アメリカふたり旅
「おっさん数珠つなぎ」の中の第五回をチェックしてね!

