スミソニアンを越えて
高校の修学旅行で一度だけ行ったことのある長崎。
社会学習の一環として立ち寄った原爆資料館では、不覚にも涙が止まらなかったよ。
そして、この事実を知らない人がまだ大勢いるだなんて、それは何か間違っていると思った。
それから月日は流れ、この資料館の展示のことを思い出したのは、
「スミソニアン航空宇宙博物館が原爆展の開催を取りやめた」とのニュースを見た時。
原爆投下を、ポジティブなものとして見るアメリカの退役軍人と、その悲惨さを伝えたい展示内容の食い違いが生み出した結果だったようだけど、
はっきり言って失望したね、大国アメリカの考え方に。
自分たちが正義と信じる行動であったならば、その全てを堂々と見つめるべきで、
善し悪しを判断するべき一般国民の前から排除するべきではないんでないかい?
さて、その一件から十数年経った今になって、アメリカで新たな原爆展が企画されている。
最近つとに頭がおかしいんじゃないかと思うアメリカの高官達。
前回のスミソニアンの時の二の舞になるか否か…?、この展覧会の行方に注目しよう。
国立の長崎原爆死没者追悼平和祈念館(長崎市)が今夏、米ネバダ州の核実験博物館で原爆展を開く。博物館は米政府の資金援助で昨年開設され、核戦略を肯定した常設展がある。祈念館は「被爆の実態を伝える好機」と意義を説明するが、被爆者らの間には「核兵器の威力誇示に利用されないか」との声も。米国での原爆展が中止に追い込まれたスミソニアン論争から10年余り。今後の米国内の反応によっては、展示の是非をめぐる議論が再燃する可能性もある。
核実験博物館は昨年2月、米政府の補助金や兵器製造企業の協賛金などでラスベガスにできた。原爆の開発から「核テロ」への備えまで、米の核政策史をパネルや映像で展示する。約100キロ北西には地下核実験場があり、核爆発を伴わない未臨界核実験が2月下旬に1年9カ月ぶりに実施された。
原爆展は昨春、平和祈念館側から持ちかけた。核実験博物館には原爆被害の展示がなく、米側は開催に意欲を示した。
企画案では、原爆展は7月下旬から始め、「原爆の日」の8月6日(広島)、同9日(長崎)を挟んで約3週間を予定している。原爆投下直後の広島・長崎市内の惨状や、後遺症に苦しむ被爆者の写真のほか、被爆ガラスなどの実物資料もそろえる計画だ。
展示案はすでに米側博物館の理事会で承認されている。ただ、原爆投下の理由をどう記述するかなど詰めの作業はこれからで、平和祈念館職員が4月にも訪米し、詳細を打ち合わせる。
米国内では「原爆が戦争終結を早め、多くの人命を救った」とする世論が根強く、11年前には米国立スミソニアン航空宇宙博物館(ワシントンDC)が計画した原爆展が退役軍人らの抗議で中止に追い込まれている。
昨春、国連本部で原爆展を実現した日本被団協の代表委員で広島県被団協理事長の坪井直さん(80)は「核の本拠地での開催は評価するが、問題は中身だ。スミソニアン原爆展の二の舞いにならないか心配だ」と語る。
長崎への原爆投下機ボックス・カーを展示する米空軍博物館(オハイオ州)を昨春訪ね、被害実態も示すよう求めて断られた長崎市の被爆者、広瀬方人さん(76)は「被害をありのまま展示できれば意義は大きい。原爆の投下理由をめぐる記述などがゆがめられてはならない」と指摘する。
一方、祈念館の丸田徹館長は「被爆の実相をきちんと知らせ、核兵器廃絶の訴えが正しく伝わるよう入念に準備したい」と語る。被爆資料を貸し出す予定の広島平和記念資料館(広島市)の外和田孝章副館長(啓発担当)も「原爆の正当化にくみする展示にならないよう今後の協議を見守りたい」としている。
長崎の祈念館は03年夏、原爆犠牲者の慰霊と国際交流を目的に、広島原爆死没者追悼平和祈念館(広島市)に続いて、長崎・原爆資料館の隣地に開設された。
《核実験博物館のウィリアム・ジョンソン館長の話》
博物館は、核の時代をめぐって様々な対話を促す場だ。その意味で今回の原爆展は非常に意義深く、長崎の方々と活動できるのは喜ばしい。展示資料を検閲するようなことは一切ない。

